〜月齢10〜
フェンネルを含めた捜索隊が城を出てから10日後、
早馬による知らせがあった。
だが、その知らせはあまり良い知らせではなかった。
「"魔族に襲われた"だと?!…それで、具合はどうなのだ?」
「はっ。現在は意識もハッキリとされていて、命に別状は無いように思われます。
ただ、怪我の方は回復に少し時間がかかりそうです。あと数日で城の方に戻られることでしょう」
"魔族"という言葉に、ある忌まわしい事件が頭を過ぎった。
まさか、という気持ちを抑えて訊いた。
「その、魔族は…どのような特徴をしていたのでしょうか?」
「はっ。黒い影を見た、としか…」
ざわめきが起こった。
「静まりなさい!まだ何も確証はありません。
逸る心は判断を狂わせる原因にもなります。
まずは、無事であった事を喜ぶべきでしょう!」
女王の言葉に皆が冷静さを取り戻した。
「リディア…よく言ったな。
だが、少し顔色が良くない…下がっても良いのだぞ」
「…はい。そうさせていただきます。少し疲れました…」
退出しようとすると、ある人物が声をかけてきた。
「部屋までお送りします…」
「ええ、お願いします。カイザー…」
騎士団の団長を務めるこの人物は、リディアにとって特別な人であった。
渡り廊下から庭の花達が見える。今は椿が花をつけ始めたころだ。
「ここを通るたびに彼の事を考えるわ…今も。こんなにも大事。
今回、それを思い知らされたわ…」
「…王女、いえ、女王陛下。まさかとは思うのですが…」
「カイザーはどう思うの?」
カイザーは険しい顔つきをしていた。
「黒い影…あの男ではないかと、正直、考えました。
あの男は、この王家に対して恨みを持っているでしょう。
ただ、アーウィング様を狙うというのは…」
「王家に対する復讐なら、十分過ぎる痛手になるわ!」
「…リディア様?」
泣いているのではないかと思って、カイザーは心配そうに様子を窺うが、
リディアは泣いていなかった。
「私、お姉様と話がしたいわ…」
「えっ…?!」
「会いたいの。会って話がしたいの…」
リディアの姉・ライラは、塔の最上階に閉じ込められている。
魔族との間に子を為した罪で幽閉されているのだ。
「分かりました。何とかしましょう…昼間では目立ちますので、夜までお待ち下さい」
「お願いね…カイザー」
夜になって、カイザーに頼まれたシレネがリディアに自分の服を着せる。
代わりにシレネが部屋に留まり、リディアは外に出た。
頭からショールを被る。もう冬場なので防寒の意味もある。
だから、そのいでたちが怪しまれる事は無かった。
「カイザー…そっちは大丈夫なの?」
「ええ。皆に酒を振舞っておきました、薬入りの物を…。
ですから、塔の警護の者は眠っている事でしょう」
「そう、ご苦労様。無理言ってごめんなさい…でも、私は…」
カイザーはリディアを優しい目で見た。
その表情に不安が垣間見えているからだった。
「行きましょう…夜は短い」
「ええ、そうね」
冷たい石造りの塔。階段を昇る。
風のぶつかる音がして、何だか怖い。
「ここです…ここがライラ様がいらっしゃる――」
扉を開くと格子のすぐ傍にほっそりとした女性が立っていた。
「ライラお姉様…」
「やっぱり、リディアだったのね…」
あんなにも輝いていた金の髪も、少し色がくすんでしまっている。
出産後、身体を壊しているとは聞いていたが、面痩せして、
以前のような健康的な美しさは損なわれてしまっていた。
その分、静謐な美しさがあった。
「どうして…?」
「わかるわよ。生まれたときから一緒なんだもの…。
嬉しいわ、貴方に会えるなんて…」
「お姉様…私、お訊きしたいことがあるのです」
リディアの暗く真剣な表情に、ライラは心配する姉の顔になった。
「どうかしたの?」
「お姉様の…愛した人は、魔族なのでしょう?」
「ええ、確かにスウェインは魔族よ。でも、彼は悪い人じゃない…優しい心を持った…」
言い掛けてその問いに疑問がわいた。何故、妹は今更こんな事を訊くのだろう?
「どうかしたの?何があったの?」
「私…わからなくて。アーウィングを襲った魔族が、
万が一、その人なのかもしれないって考えたら…」
「…アーウィング?魔族って…まさか、そうなの?カイザー?」
カイザーは控えていたが、近くにやってきて説明した。
「アーウィング様はリディア様の御夫君です。視察から帰られる所を魔族に襲われたそうです。
報告によると、黒い影を見たとしか聞いていませんが…」
「スウェインがやったと?カイザー、貴方もそう思ってるの?!」
ライラは格子を掴み、詰め寄った。
「いえ、そんな風には思いたくありません…。
アイツは、そんな事をするような奴には見えなかった。
だけど、考えてしまう…我々の記憶に鮮明な魔族の存在として、どうしても消えないのです!」
「…そう。でも、スウェインはそんな事をしない。私にはわかる」
「本当に?本当に、そうだと…神に誓えますか?その言葉を信じても良いのですか?」
「誓うわ。信じて…彼は魔族だけど、私が愛した人でもあるのよ」
その言葉に気持ちが楽になった。ライラはリディアに微笑んだ。
「リディアがこんなに一生懸命になるなんて…本当に恋をしているのね?」
「えっ?」
「私の知ってるリディアは、どんなにしたいことがあっても、
周りの事を考えて諦めるような女の子だった。
相手のことを考えて、言いたい事も言えなかったりしたでしょ?」
ライラはカイザーの方をチラリと見た。
「だけど、今の貴方は違う。言いたい事は言うべきなのよ。
貴方の気持ちは貴方だけのものなの。そうでしょ?」
リディアは素直に頷く。
「彼の事が好き?」
再び頷く。瞳が潤んでいる。
「そう…」
「でも…私、まだ何も伝えてないの。
私、彼を失うかもしれないと…そう思うまで気づかなかった。
ずっと、ずっと彼は私を待っていてくれたのに…」
涙がはらはらと零れ落ちる。
それを見て、ライラは二人の関係に気がついた。
結婚しているのに、何も伝えていない。失う不安。そして、涙。
「リディア…怖くないのよ?」
優しく諭すように話す。
「愛されたいと思うのは、恥ずかしい事じゃないわ。
愛しているなら自然な事なの。彼は貴方を待つと言ったのでしょう?」
頷く。涙が溢れ、綺麗な流れを作った。
「幸せになりなさい。貴方にはその権利がある。
愛してるわ、リディア」
「ライラお姉様…」
ライラはリディアを格子ごしに抱きしめた。
リディアもその手を伸ばし、姉を抱いた。
本当はこんな風に、祝福の言葉が聞きたかっただけかもしれないとカイザーは思った。